脳の病気まるわかり

記憶のメカニズム -短期記憶と長期記憶―

 

短期記憶と長期記憶

 

 

記憶を大きく分けると、「短期記憶」「長期記憶」に分類されます。一時的に小さな容量の情報を保持するのが短期記憶で、継続的に大きな容量の情報を保持するのが長期記憶です。人間の記憶の働きを、2つの貯蔵庫でモデル化したとらえ方を、「記憶の二重貯蔵モデル(dual storage model)」と呼びます。

 

この説によると、目や耳といった感覚器へ入力された外界からの情報はまず、感覚記憶、そして短期記憶、長期記憶の段階で貯蔵されていきます。

 

このように3段階に分けることで、記憶に要する脳の負荷を軽減していると考えられています。日常生活の中で感覚器(目や耳など)から脳へ入ってくるすべての情報を記憶していたら、記憶の重要度の差別化ができませんし、また脳への負荷が大変なものになります。勉強のときには何でも一回で覚えられたら楽なのに、と思うでしょうけど、町ですれ違った人の顔や服装の全てを覚えても「生命の維持」のためには殆ど不要です。むしろ不要な情報が脳内に溢れすぎて過重な負担になってしまうでしょう。更に、情報が多すぎると、必要な情報を効率よく引き出すのも難しくなってしまいます。

 

脳は、自分にとって必要な情報のみを記憶するようになっているのです。なお、記憶の段階により脳内の活動部位も異なります。

 

 

感覚記憶

 

 

外界からの情報は、視覚(目)、聴覚(耳)、嗅覚(鼻)、味覚(舌)、触覚(肌、筋肉など)の五感から入ってきます。感覚記憶とは、こうした感覚器から得た情報を、取り敢えずそのままの形で数秒間だけ覚えている記憶です。これは、自動的(無意識的)に脳に入力され、感覚記憶としてごく短時間だけ保持されます。

 

すぐに忘れてしまうものですが、その時間は感覚器官によって異なります(視覚情報は1秒以内、聴覚情報は4秒程度)。特に注意を引かなかったものは、短期記憶に移行せずに消えてしまいます。

 

 

短期記憶

 

 

膨大な量の情報が入っては消えていく感覚記憶の中で、自己にとって意味があると認識されて選択された情報だけが拾い上げられて、短期記憶に送られます。短期記憶は、感覚記憶よりもう少し保持期間が長い記憶で、約15秒間~数分程度保持されます。この記憶の容量(覚えていられる量)には限界があります。短期記憶で一度に保持できる量は7±2(5つから9つまで)程度と考えられています。

 

短期記憶には、「チャンク」という単位があります。前述の7±2という数にチャンクを当てはめると、7±2チャンクという単位で数えられます。情報のかたまりであるチャンクは語呂合わせなどによって少なくすることができます。

 

例えば、歴史の勉強で年号を覚えるとき、平安遷都を「鳴くよ(794)うぐいす平安京」のようにチャンキングして覚えれば、794年という3つの数字の並びが1個のチャンクになってしまいます。

 

このように、短期記憶の内容を語呂合わせしたり、似通ったものをまとめたりする「符号化」は、チャンクを少なくする手段だと考えられます。学生時代に歴史の年号、物理や数学の公式、英単語の語呂合わせなどいろいろ工夫して覚えた経験があるのではないかと存じますが、こうした方法も符号化の一種です。

 

電話番号の7桁という数字は、覚えられる限界に近い量であり、「マジカルナンバー」とも呼ばれています。市外局番を合わせて10桁になると殆ど不可能です。ただ、市外局番は0で始まるし、また、地域によって決まっています。東京だと03というのは多くの方がご存知ですし、携帯であれば090か080で始まることが殆どですから、これは2つあるいは3つの数字ではなく、セットとして覚えることが出来ます。あとは、7桁の数字を要領よく覚えることができればいいのです。語呂を使う人もいれば、イメージを作る人もいらっしゃるかと存じます。そうすることで覚える必要のある「チャンク」が減少するのです。

 

動物実験によると、短期記憶には、主に大脳の前頭連合野が強く関与していて、一部側頭連合野も関与していることが報告されています。

 

 

長期記憶への移行:リハーサル

 

 

このように短期記憶で保持できる情報の容量は極めて小さいものです。よほど興味を引くもの、印象深いものでもないかぎり、すぐに忘れ去られてしまいます。神経衰弱でカードを一生懸命覚えても、遊び終わったら直ちに忘れてしまいます。

 

そこで、短期記憶を「長期記憶」にする過程があります。長期記憶へとつなげるためには反復学習が必要です。勉強で学んだことを何度も繰り返し、復習するわけです。短期貯蔵庫に一時保存された情報を繰り返し復唱して記憶を強化する過程がこれにあたります。

 

これに相当する心理学用語に、「リハーサル」という言葉が用いられます。リハーサルとは、“短期記憶の忘却を防いだり、長期記憶に転送したりするために、記憶するべきことを何度も唱えること”とされています。

 

詳しく言うと、リハーサルは「維持リハーサル」と「精緻化リハーサル」の2つに分けられます。短期記憶内に記憶を維持し、忘れないようにする過程を「維持リハーサル」と呼び、短期記憶から長期記憶に記憶を転送し、長期記憶の構造に統合する過程を「精緻化リハーサル」と呼びます。

 

通常、リハーサルというと頭の中で言葉を繰り返す聴覚的なものを指すことが多いですが、記憶するべき項目を視覚的に思い浮かべる視覚的なリハーサルもあります。

 

リハーサルによる短期記憶から長期記憶への移行の過程には、側頭葉の奥にある「海馬」という部分の働きが重要です。海馬はタツノオトシゴのような形をしているため、そのように呼ばれます。海馬から始まるPapez回路(海馬 → 脳弓 → 乳頭体→ 視床前核 → 帯状回 → 海馬)がとても重要ですが、ほかにも「扁桃体」を通るYakovlev回路というものも知られています。Yakovlev回路は、主に恐怖などの情動を伴う記憶に関与しているようで、こうした情動記憶は海馬のすぐ隣にある扁桃体に貯蔵されていると言われています。Papez回路やYakovlev回路をぐるぐる回っているうちに、長期記憶として定着するようになってくるのです。

 

短期記憶の貯蔵庫で、頭の中で情報を復唱する「リハーサル」を繰り返し行っていると、その中の幾つかの情報が長期記憶の貯蔵庫へと転送されていきます。リハーサルの回数が多いもの、選択的注意の程度が大きいもの(印象が強烈なもの)ほど、重要なものとして短期記憶から長期記憶へと定着する可能性が高くなります。

海馬に転送された短期記憶は、諸説ありますが1ヶ月程度保持されるようです。海馬にある記憶は1か月以内に消える危険のある、不安定な状態の記憶です。その間に「生きていく上で必要な情報か否か」という視点から審査を受け、必要と認識された重要情報のみが側頭葉を始めとした大脳皮質へ情報が送られ、本物の記憶(長期記憶)へと移行するようです。また、扁桃体は本能と感情の大元をなす部分であり、自分にとって「有利か不利か」、「好きか嫌いか」などを元に、記憶に対して感情という情報を修飾し、重要度を判断しています。更に、海馬は扁桃体と連携しながら、記憶の重みづけを行なっています。

生命の保存という観点から記憶を見ると、海馬は、生命に対する脅威となりえる経験や生命の保存に関わる情報があれば短期間の間にそれを吟味し、経験を繰り返すうちに重要と判断すれば長期記憶へと移行させるのです。こうして情報を取捨選択することにより、同じ脅威に再び遭遇しないように回避したり、水分や食糧補給に必要な情報を入手したりして、環境の変化にうまく適応していくことになるのです。

 

一方、子供たちにとってテスト勉強などの情報は、生命の保存という観点からはなかなか重要という認識を持ちづらいものです。勉強で得られるような印象が薄い知識を定着させるのは容易ではなく、何度も何度も反復して海馬に情報を送り、生存上必要と思わせない限り、情報は長期記憶に移行されず、忘れ去られてしまうことになります。受験の勉強方法においては、最低でも海馬の段階をクリアして、側頭葉などの大脳皮質に保管しなければ本物になりません。試験に出る漢字が頭に入らない、英単語が覚えられない、と悩んでいるという人は、1か月以内に繰り返さないことが原因です。最初の1か月で何度も繰り返し復習していくことによって、長く忘れない本物の記憶にできるのです。

 

長期記憶は非常に大容量で、一度定着すると、脳が健在である限り半永久的なものと考えられているようです。

 

 

「記憶の二重貯蔵モデル」と認知症

 

さて、認知症の人が新しいことを覚えること(記銘)が出来なくなるのは、このような長期記憶への移行の際に機能する脳の回路が障害されることが理由であると考えられています。

 

一方、長期記憶として確立した知識や経験は脳の複数の部分がそれぞれ障害されることで低下するとされています。アルツハイマー病や重症の頭部外傷などで新しいことが覚えられなくなった患者さんでも、怪我をする前、病気になる前の記憶は比較保たれていることはしばしば経験されることです。認知症の人の長期記憶が比較的良好な理由としては、長期記憶が脳の複数の部位に分かれて保持されているからだと考えられています。

 

こうした事実からは短期記憶と長期記憶の過程は異なるものと考えられ、つまり記憶の二重貯蔵モデルが支持される根拠になりうることと考えられています。